量子論の導入

この章から量子論について議論を始めていく.

ここまでのNewton力学,解析力学(Lagrange形式正準形式),電磁気学熱力学統計力学特殊相対性理論までの物理学は古典物理学 (classical physics) に分類される.
これらはおおよそ19世紀までの物理学で,当時はこれらでほとんどの自然現象は理解できると考えられていた.
しかしながらいくつかのミクロな現象に関する実験事実を説明することはできず新しい物理が必要とされていた.
それらについて詳細には述べないが代表的なものを簡単にまとめておく(前期量子論については問題参照).

  1. 古典力学の質点と電磁相互作用によるRutherfordの原子モデルが破綻する.
  2. 原子と磁場の相互作用に見られる異常Zeeman効果を古典論では説明できない.
  3. 黒体(光を反射しない物体)から放出される光のエネルギー分布,Planck分布を古典統計力学では説明できない.

これらの諸問題は量子論の枠組みの中で解決される.
他にも金属や磁性体,超伝導体,半導体,原子核,高密度天体,初期宇宙などの理解に量子論は必須である.
ただ特殊相対性理論やその中で矛盾のない電磁気学に関しては量子論からさらに飛躍が必要となる.
これらの問題点に関しては相対論的量子力学の章で議論し,場の量子論で詳細に扱う.

量子論が重要となってくる小ささは

で定義される定数,Planck定数で特徴付けられる.

cf) https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?h [22 Jan 2022]

Planck定数は光電効果を利用した実験により決定できる.
量子論のスケール感をつかむにはPlanck定数を使って概算すると良い.

量子論はミクロな系を記述し,そのもっとも特徴的な部分は確率論を導入することである.
確率論は統計力学においても導入した.
これは系の自由度が膨大であったために運動方程式を扱いきれないためと,平均操作からマクロな物理量を抽出したいという目的のためであった.

しかし量子論においてはそうではなくミクロな系のもつ本質的なゆらぎに起因する.
つまり物理法則として確率論を持ち出さなければならない.
さらに量子論における確率は通常の意味での確率とは性質を異にする.
量子論的な確率を理解するためには線型代数学の基本事項(抽象ベクトル空間,内積,双対ベクトルなど)が必須となる.
その意味で統計力学などにおける通常の確率を古典確率,量子論で扱う確率を量子確率と区別することもある.
たとえばミクロな系でかつ自由度が膨大な場合は量子的な確率の上にさらに統計力学的な確率を導入する必要が出てくる.
また自由度の少ない系においても,ミクロな物理量の観測は一定の測定誤差が発生してしまう.
この誤差を評価するために古典確率を導入することがある.
これらについては量子統計力学の章で詳しく述べることにして,本章では量子確率にのみ焦点を当てて議論を進めていく.

量子論が本質的に確率論ということは,質点の軌道を厳密に決定するような基礎方程式が存在しないことを意味する.
量子論においては質点の座標や運動量に関する確率分布およびその時間発展が決められる.

註)量子論においても時間は古典論と同じゆらぎのない物理量として扱う.
この座標と時間の非対称性が相対論的な量子論の困難の1つである.
座標も時間と同じ古典的な量として扱う理論は場の量子論に発展し,時間もゆらぐ量として扱う理論は弦理論に発展する.

後でわかるように,ミクロな質点(電子や原子,その他の素粒子)の確率分布に対する方程式は波動方程式と似た形をしており,時間とともに振動するような解を与える.
これを以って「電子は粒子性と波動性の二面性をもつ」と表現されることがあるが厳密ではない.
電子は粒子に違いなく,その座標や運動量に関する確率分布が波動性をもつにすぎない.

この波動方程式をエネルギーが保存するという条件のもとで解くと,エネルギーの値に制限がつくことがわかる.
特に質点の座標が有限の領域に限られるような束縛状態においてはエネルギーが離散的な値しか取れない条件が課される.
つまりエネルギーが連続な実数値ではなく整数の函数で書けるようなとびとびの値をとる.
これをエネルギーが量子化 (quantization) されたといい,この条件を量子条件という.
この事実が量子論 (Quantum Theory) の由来である.
離散的なとびの幅はPlanck定数程度なのでやはり非常に小さく日常のスケールから見ると連続的に見える.
それゆえ古典極限 とは h\to0  とすることと同義である.

註)本稿では特殊相対論で c\to\infty  の極限をとるときは非相対論的極限とよんで区別する.

本章では量子論の枠組み,数学的道具立てを行なったのちにいくつかの具体例を見る.
その次の章では古典系から量子系を推定する正準量子化を扱う.
そのあとは量子論の枠組みで導かれるさまざまな現象や概念について触れていく.

Problems

\textsc{Problem1. }

光電効果: 金属表面に光を照射すると金属内の自由電子が飛び出す現象が起こる.
このとき以下の実験事実がわかっているとする:

  1. ある振動数以下では光の強度によらずこの現象は起こらない.
  2. 飛び出す電子の運動エネルギーは振動数に依存するが個数は依存しない.
  3. 光の強度を強くすると飛び出す電子の個数が増えるが運動エネルギーは変化しない.

振動数 \nu の光をエネルギー E=h\nu の光子の集団と仮定(光量子仮説)して,飛び出す電子の運動エネルギーを求める方程式を導け.

\textsc{Solution.}

光の強度は光子の個数と同義である.
まず1つ目の事実を考察する.
ある振動数以下で電子が飛び出さないことから,飛び出すための定数 W  のエネルギーが必要となる.
強度に依存せず振動数にのみ依存することから電子1つにエネルギーを与えることができるのは光子1つでなければならない.
そして光子のエネルギーが h\nu\geq W  となれば電子が飛び出す.
このとき電子の運動エネルギー T_e  は(はじめ金属ないでほぼ静止しているとして)

で与えられる.
この方程式より T_e  は光子の個数に依存せず振動数のみに依存している.
また光子1つが電子1つにエネルギーを与えるから強度を強くすると電子の個数も増える.
以上から上記の方程式は所期の実験事実を説明する.
これは光電効果のEinstein方程式として知られる.

光電効果

\textsc{Problem2. }

Compton効果: 光子は振動数 \nu とするとエネルギー E=h\nu ,運動量 p=h\nu/c の粒子として扱える.
ここで c は光の速さ.
この光子が静止した電子(質量 m_e )に弾性衝突したときの光子の波長 \lambda=c/\nu の変化を散乱角 \theta の函数として導け.
ただし電子のエネルギーが非相対論的な場合と相対論的な場合の2通りに計算せよ.

\textsc{Solution.}

静止している電子に向かって光子がとんでくる.
はじめ系の全エネルギーは光子の運動エネルギーのみで E_1=h\nu  である.
この光子が \theta  の方向にエネルギーが h\nu'  に減少して散乱され,電子は光子にはじかれて \varphi  の方向に運動量 \boldsymbol{p}  でとんでいったとする.
ただし2つの散乱角 \theta,\varphi  は光子の入射方向に平行な面でかつ光子・電子の散乱方向とも平行な面で測ったものとする.

水平成分・垂直成分の運動量保存則から,

\cos^2\varphi+\sin^2\varphi=1  を利用して \varphi  を消去すれば,

整理すれば,

また非相対論的なエネルギー保存則から,

c=\lambda\nu  より振動数を波長に代えれば上の2式から,

両辺に \lambda\lambda'  をかけると,

波長の変化は小さいとすると,

と近似ができるので,結局光子の波長の変化は,

一方で相対論的な場合は運動量保存則は先ほど同じく,

エネルギー保存則は相対論的なエネルギーの式 c\sqrt{m^2c^2+p^2}  を用いて,

したがって2式を波長の式に代えれば保存則は,

上の式を整理し,下の式の両辺を2乗すると

2式の差を取って,

エネルギー保存則の式を再び用いて,

すなわち

となって非相対論の場合と同じ結果を得る.

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