場の量子論のS行列

相互作用のある場の量子論で興味があるのは粒子の散乱過程である.
無限遠から入射してくる複数の粒子が相互作用して,再び無限遠へと飛び去っていく過程を記述したい.
そして散乱角などの実験によって測定可能な物理量と結びつけることが目標である.

前節においては2種類の生成演算子 a^{\dagger}(\boldsymbol{k},\pm\infty)  から状態空間の完全系を2つ構成した.
無限の過去 t\to-\infty  においてある N\,(\geq 1)  粒子状態

を用意する.
これをin状態という.
同様に無限の未来 t\to+\infty  においてある N'\,(\geq 1)  粒子状態

を用意する.
こちらをout状態という.
in状態 |{\alpha; \mathrm{in}\rangle}  が時間発展し相互作用を受けたあとにout状態 |{\beta; \mathrm{out}\rangle}  へ遷移する確率振幅

という量によって評価される.
S_{\alpha\beta}  を物理学的に確率振幅と解釈するためにはHeisenberg描像(場の理論は暗にHeisenberg描像であったことに注意せよ)ではなくSchrödinger描像に移って状態の時間発展に置き換えるとわかりやすい.
状態 |{\psi}\rangle  に対してSchrödinger描像の状態は時間依存性を復活させて |{\psi,t}\rangle  と書くことにする.
2つの描像の状態ベクトルの間は理論のHamiltonianから作られる時間発展演算子 U(t,t_*)  を用いて

で移り合う.
ここで t_*  は基準となる任意の時刻である.
それゆえin状態とout状態に時間を復活させると

と書ける.
したがって

と表すことができる.
これは無限過去のin状態が時間発展演算子によって無限未来まで時間発展して状態 U(+\infty, -\infty) |{\alpha, -\infty;\mathrm{in}\rangle}  となり,その状態と興味のあるout状態との重なりを評価している.
よってたしかに S_{\alpha\beta}  はin状態 \alpha  からout状態 \beta  への遷移振幅を表している.
そのため S_{\alpha\beta}  S行列 (S-matrix) と呼ばれる.
S行列の時間発展演算子による表式はあとで経路積分量子化を議論するときに必要になる.

ではHeisenberg描像に戻って議論を続ける.
漸近的完全性の仮定から

ただし \mathcal{N}_{\beta}:=\langle{\beta;\mathrm{out}\rangle|\beta;\mathrm{out}}  は状態 \beta  の規格化因子.
同様にして

もわかる.
つまり (\mathcal{N}_{\alpha}\mathcal{N}_{\beta})^{-1}S_{\alpha\beta}  は(適切に和 \sum_{\alpha}  の中の積分測度も再定義しておけば)ユニタリ行列である.

演算子 \hat{S}  を導入して任意のin状態に対して

とおく.
つまり \hat{S}  はin状態の基底とout状態の基底の対応関係を与えるものである.
この演算子 \hat{S}  のin状態の基底における行列要素は

となってS行列 S_{\alpha\beta}  のHermite共役で表すことができる.
このことから \hat{S}  のこともS行列と呼ぶ.
漸近的完全性から

また

漸近的完全性からin状態とout状態は同じ直交関係を満たすので左辺について \langle{\beta;\mathrm{out}\rangle|\gamma;\mathrm{out}}=\langle{\beta;\mathrm{in}\rangle|\gamma;\mathrm{in}}  とできて, \hat{S}^{\dagger}\hat{S}=\hat{I}  が言える.
以上からS行列はユニタリ演算子 \hat{S}^{\dagger}=\hat{S}^{-1}  である.
導出からわかるようにS行列がユニタリであることは漸近的完全性と密接に関係している.

次にエネルギー運動量演算子 P^{\mu}  とS行列の関係について考えよう.
並進演算子 e^{-iP\cdot a}  はユニタリ演算子なので

並進パラメータ a^{\mu}  は任意なので p_{\mathrm{out}}(\beta)\neq p_{\mathrm{in}}(\alpha)  ならば S_{\alpha\beta}=0  がしたがう.
ゆえに S_{\alpha\beta}  あるいは \hat{S}  はデルタ函数 \delta^{(d)}(p_{\mathrm{in}}-p_{\mathrm{out}})  を含む.

さらにS行列のうち元の状態のままである寄与は除外したい.
そこで

として新たな演算子 \hat{T}  を導入する.
こちらはT行列 (T-matrix) と呼ばれる.
S行列のユニタリ条件からT行列に対しては

が課される.
T行列も同様にデルタ函数 \delta^{(d)}(p_{\mathrm{in}}-p_{\mathrm{out}})  を含むから,それを抜き出して

とおく.
\mathcal{M}  不変散乱振幅 (invariant scattering amplitude) と呼ばれる.

S行列は確率振幅なので,in状態 \alpha  からout状態 \beta  への遷移確率密度はS行列の二乗をとって

で求められる.
演算子 \hat{S}  で書き換えて,in状態は散乱によって別の状態に遷移していると仮定すると

デルタ函数の二乗は次のように処理する: Fourier変換により

ここで \mathcal{V}\mathcal{T}  は系全体の体積と時間幅の積.
よって

ここからもう少し問題を具体的にしよう.
粒子の散乱過程で興味があるのは二つの粒子ビームの衝突である.
その衝突したビームからさまざまな個数の粒子が観測されるとする.
そこで二粒子のin状態から N  粒子のout状態への散乱過程に注目する.

古典力学の相対論的二粒子の散乱断面積 \sigma

で定義されていた.
ここで N_{\mathrm{tot}}  は時間 \mathcal{T}  の間に散乱される粒子の総数.
\rho_1,\,\rho_2  は入射粒子の数密度であり, v_{\mathrm{rel}}  は入射粒子の相対論的な相対速度で

と定義される( \omega_a=k_a^0,\,a=1,2  ).
これを相対論的な量子論に援用したい.

散乱理論を古典論から量子論に置き移行するには粒子数の代わりに確率密度,数密度は単位体積あたりの確率密度に置き換えれば良い.
粒子の個数 N_{\mathrm{tot}}  を時間 \mathcal{T}  の間に粒子を観測する確率 \mathsf{P}(\alpha\to\beta)  に置き換える.
ただし全粒子数に対応させるためには \mathsf{P}(\alpha\to\beta)  をすべての終状態にわたって和をとっておく必要がある.
つまり終状態のさまざまな運動量 \boldsymbol{k}_1',\cdots,\boldsymbol{k}_N'  に関して積分して

N_{\mathrm{tot}}  に対応する.
数密度 \rho_1,\rho_2  は一粒子状態の確率密度を体積で割ったもの,すなわち単位体積あたりの状態ベクトルの大きさに置き換える.
一粒子状態はLorentz不変な規格化条件とFourier変換により

と変形できるので

となる.
それゆえ

不変散乱振幅の式と比較して散乱断面積について解けば

を得る.
散乱されてout状態の運動量がそれぞれ \boldsymbol{k}_b'  から \boldsymbol{k}_b'+\mathrm{d}\boldsymbol{k}_b'  の領域に入るときの微分散乱断面積は

となる.
これが場の量子論における二体散乱の微分断面積の式である.

以上によってS行列(不変散乱振幅)が微分散乱断面積と結び付けられた.
残る問題は \mathcal{M}  をLagrangianから理論的に計算する方法を与えることである.

コメントを残す