Dirac方程式の非相対論的極限

この節ではDirac方程式に対して非相対論的極限をとることを見る.
この場合非相対論的な粒子を正準量子化したときのSchrödingerの波動方程式に帰着すると予想される.
しかし実はDirac方程式は単に古典力学を再現するだけでなく,粒子のもつスピンの起源をも説明することができる.

ではまず自由なDirac方程式から始めよう.
このとき一般解は

の形に表される.
このうち第2項は負のエネルギー解に対応しているが,古典力学ではこのような解は許されないので棄却して

を以下では扱っていく.
非相対論的極限を議論するときはガンマ行列はWeyl表現よりもDirac表現

を採用する方が便利である.
Dirac表現での一般解についてまずは考察しておく.
Weyl表現のときと同様にまずは静止系を考えてDirac方程式 (-\gamma^0+I_4)u(\boldsymbol{0})=0  から,

として上2成分しか持たないことがわかる( c_1,\,c_2  は任意の複素数).
Lorentz変換して任意の運動量を持つ系に移す

今われわれは非相対論的極限に興味があるのでラピディティ \eta  は小さいと仮定してよい.
実際

というオーダーを持つ.
したがって

という形に近似できる.
Dirac表現で見ると u(\boldsymbol{p})  の下2成分は上2成分に比べて非相対論的極限で無視できるようになる(ちなみに v(\boldsymbol{p})  の方は反対に下2成分が残るようになる).

次に平面波 e^{ip\cdot x}  を評価する.
この因子に時間微分が作用すると \omega_{\boldsymbol{p}}  が係数に現れる.
非相対論的極限では静止エネルギーとそれ以外の部分に分けて

と近似できるとすると, \psi_a(x)=e^{-imc^2t/\hbar}\psi_a^{(\mathrm{NR})}(x)  とおいて

と計算される.
非相対論的極限においては第1項に比べて時間微分の項は小さいとして評価すればよい.

では改めてDirac方程式を見てみよう.
\psi=(\xi,\,\chi)  として2つの2成分スピノルに分解してDirac表現のガンマ行列を作用させると

となる.
両辺に \hbar ce^{+imc^2t/\hbar}  をかけて時間微分を計算すれば

ここで \psi^{(\mathrm{NR})}=(\xi^{(\mathrm{NR})},\,\chi^{(\mathrm{NR})})  とおいた.
u(\boldsymbol{p})  の形から \xi^{(\mathrm{NR})}=\mathcal{O}(c^0)  \chi^{(\mathrm{NR})}=\mathcal{O}(c^{-1})  と評価できるから,2つ目の方程式において \chi^{(\mathrm{NR})}  の時間微分の項は無視できる.
よって

と解ける.
これを1つ目の方程式へ代入して整理すれば

となる.
静止エネルギーの項はキャンセルするのでこれらの項が主要になっている.
Pauli行列の性質により \{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta_{ij}I_2  を満たすことから,第2項は \hbar^2/(2m)\cdot \boldsymbol{\nabla}^2\xi(x)  に書き換えられる.
よって自由な場合の非相対論的粒子のSchrödinger方程式

が導出された.

次に電磁場があるときのDirac方程式で同じく非相対論的極限をとってみよう.
このときのDirac方程式の一般解は与えられないが電磁場のエネルギーも非相対論的と仮定することで,エネルギーについて同様の評価ができると仮定する.
また正エネルギー解だけを採用し,Dirac表現において上2成分だけが非相対論的極限で残ると仮定する.

電磁場中のDirac方程式は

ここで D_{\mu}=\partial_{\mu} - (ie/\hbar)A_{\mu}  である.
2成分スピノルであらわに書き下すと

両辺に \hbar ce^{+imc^2t/\hbar}  をかけて微分を計算すれば

2つ目の方程式で \chi^{(\mathrm{NR})}  の時間微分と e\phi\chi^{(\mathrm{NR})}  の項は静止エネルギーに比べて無視できるので

と解ける.
これを1つ目の方程式へ代入して整理すれば

ここで微分 \partial_i  はベクトルポテンシャル A_j(x)  にも作用することに注意する.
Pauli行列は

を満たすことから,

と分解できる.
第2項で微分演算子に注意して括弧を展開すると

となる.
第2項以降は反対称テンソルと対称テンソルの縮約なので落ちる.
第1項を i  j  について反対称化すれば

と変形される.
ここで F_{\mu\nu}=\partial_{\mu}A_{\nu}-\partial_{\nu}A_{\nu}  電磁場テンソルであり磁場 \boldsymbol{B}(x)  とは \epsilon_{ijk}F_{ij}=2B_k  の関係にある.
結局方程式は

に帰着される.
これはスピン 1/2  を持つ粒子が電磁場と相互作用するときのPauli方程式である.
この右辺第2項は粒子が磁気モーメント

をもつことを意味する.
\hat{\boldsymbol{S}}  はスピン演算子であり g=2  \boldsymbol{g}  因子 ( g  -factor) である.
こうしてDirac方程式の非相対論的極限からスピン 1/2  の粒子と磁場の相互作用項が導かれた.
Dirac方程式は g  因子がちょうど 2  であることを示唆する.
しかし実際にはたとえば電子やミューオンといった素粒子の実験値は 2  からわずかにずれていて異常磁気モーメント (anomalous magnetic moment) として知られる.
異常磁気モーメントを精密に計算するためにはDirac粒子と電磁場に関する場の量子論,量子電磁気学 (QED) やさらなる高次補正には素粒子の標準モデルを用いる必要がある.
ミューオンの異常磁気モーメントは標準モデルによる計算からもさらにずれており,標準モデルを超えた理論が期待されている.

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