電磁気学の困難

ここまで真空中におかれた荷電粒子やそれがつくる電磁場について議論してきた.
電磁場はGalilei変換と矛盾し,特殊相対性理論の枠内でLorentz変換と無矛盾になる.
この意味で特殊相対性理論は力学と電磁気学の統一に成功した.
ところがうまくいっている電磁気学もミクロな理論としては問題を抱えている.

この節では電磁気学の2つの問題,原子構造の不安定性の問題と,自己場による発散の問題を紹介する.
ここまで電磁場と質点の運動方程式を別個に分けてそれらのダイナミクスを議論した.
すなわち質点の運動方程式に現れる電磁場は与えられた背景場ではなく,電磁場自身も質点の運動による影響を受けて時間発展する.
その一例として荷電粒子1個がつくる電磁場をGreen函数の方法によって求め,Liénard–Wiechertポテンシャルによって記述されることを見た.
この電磁場は輻射場として遠方へエネルギーを伝搬し,その反作用として荷電粒子にはLorentz摩擦をはたらかせる.

まず原子構造の不安定性の問題について見るために,電磁気学に基づいた原子の内部構造のモデルを構築しよう.
\alpha  線を金箔に衝突させる実験の結果をRutherford (1911) の散乱理論が非常に良く説明できたことにより,おおまかな原子の構造のモデルが確立する.
それは中心に正の電荷を持った小さな核(原子核)があって,そのまわりを原子核に比べて非常に小さい質量を持った負電荷の粒子が飛び回っているという描像であった.
この負電荷の粒子を電子 (electron) という.

電子が核の回りを運動する描像は惑星の公転運動における天体物理学とのアナロジーがあり,Coulomb相互作用する荷電粒子の多体系として原子を捉えるならば自然なモデルと言える.
このような恒星のまわりの惑星の公転運動と対応づけた原子のモデルをRutherfordモデルという.

簡単のために原子核と電子1個の系を考えよう.
電子は原子核とCoulomb相互作用のみしていると仮定する.
原子核は非常に重たいのでその運動は無視でき空間に固定されているとして,電子の運動方程式を

とする.
m_{\mathrm{e}},\,-e\,(e>0)  は電子の質量と電荷で Ze  は原子核の電荷である.
この運動方程式の解はCoulombポテンシャルの一般論から

で与えられる.
ここで E,\,M  は電子のエネルギーと角運動量.
0\leq \epsilon<1,\,(E<0)  のとき電子は楕円軌道となる.
ここでは簡単のために円運動の場合 \epsilon=0  を考えよう.
このとき半径は \theta  によらず一定で

となる.
それゆえ角運動量は M=\sqrt{m_{\mathrm{e}}\alpha r}  と表せる.
円軌道条件 \epsilon=0  をエネルギーについて解けば

このようにして原子のまわりに円運動する電子を記述できる.
しかし円運動は加速度運動であり,大きさ

をもつ.

このようにして原子核のまわりで円運動する電子を簡単に記述できる.
しかしながら加速度運動する荷電粒子は一般に制動輻射をおこなってエネルギーを電磁波として放出し続ける.
エネルギーを失うと軌道半径は小さくなり電子は原子核に落ち込んでいく.
この落ち込むまでの時間を見積もってみよう.
電子の軌道半径に時間依存性を復活させて r=r(t)  としておく.
単位時間当りに失うエネルギーはLarmorの公式から与えられて,

他方で円軌道条件を時間微分して,微分方程式

が立式できる.
少し整理して

落ち込むのに要する時間を \tau  ,はじめの電子の軌道半径を r_0  とおいて両辺時間で積分すれば

\tau  について解けば

と求まる.

\tau  を数値で計算するために Z=1  とし電子の半径として後述するBohr半径 a_{\mathrm{B}}=5.3\times10^{-11}  を採用しよう.
他の物理定数は電気素量が e=1.6\times10^{-19}\,\mathrm{A\cdot s}  ,光速が c=3.0\times10^8\,\mathrm{m/s}  ,電子の質量が m_{\mathrm{e}}=9.1\times10^{-31}\,\mathrm{kg}  ,誘電率が \varepsilon_0=8.9\times10^{-12}\,\mathrm{m}^3\cdot\mathrm{kg}^{-1}\cdot\mathrm{s}^4\cdot\mathrm{A}^2  なので

となる.
すなわちおよそ 15\,\mathrm{ps}  という非常に短い時間で原子のまわりを円運動する電子は制動輻射によって原点に落ち込んでしまう.
よってたいていの物理学的な時間スケールでは原子は安定に存在することができないことになる.
しかしながら現実に存在する原子はもっと長時間安定的に存在しているので,ここまでの議論はどこかで間違っている.

荷電粒子が加速度運動すれば必ず制動輻射を伴ってしまい,エネルギーを失って原子構造を安定に保てない.
したがって最も簡単な解決方法は電子や原子核が何らかの方法で加速度を持たないような状態で共存していると仮定することである.
Bohrは1913年に次のような仮説をだした:

  1. 電子は原子核の周りに定常状態で存在する(加速度運動しない).
    定常状態は離散的な値をとるエネルギーで特徴づけられる.
  2. 各定常状態のエネルギーは以下の量子条件 (quantum condition) によって決められる.
    ただし p,\,r  は電子の運動量と原子核までの距離, \hbar  Dirac定数と呼ばれる物理定数.
  3. ある定常状態から別の定常状態へは,光を放出または吸収をすることで一瞬に遷移が起こる.

Bohrの量子条件

これらの仮定に基づく原子のモデルをBohrモデルという.
Bohrモデルでは1つ目の仮定によって少なくとも電子が制動輻射を起こさないようになっていて,原子が安定的に存在できることが保証されている.
2つ目と3つ目の仮定についてはここでは詳しく述べない.
ただ上記の議論の通り電子の半径 r  は連続的な値をとることができ,それゆえエネルギーも連続的である.
物理量が連続的な値を取ることはNewton力学においては当たり前である.
しかし原子のようなミクロな系においては必ずしもそうではないことが示唆されている.

Bohrモデルの仮定を導くためにはミクロな系の物理学,量子論を必要とする.
実験事実と矛盾のない原子モデルを構築するためには量子論に基づいたCoulombポテンシャルや輻射場の取り扱いが必要となる.
Bohrモデルより厳密な量子論的な原子モデルについては量子力学の章に委ねることにする.

量子条件を認めると運動量が p=m_{\mathrm{e}}v  であることから速度は v=n\hbar/(m_{\mathrm{e}}r)  と解くことができる.
他方で円軌道において加速度の大きさは a=v^2/r  と表せることから運動方程式と合わせて v^2=\alpha/(m_2r)  がわかる.
この2式から v  を消去して r  について解けば

円軌道条件 E=-\alpha/(2\alpha)  に代入して

となり,電子の軌道半径とエネルギーは正の整数 n  のみの函数として表される.
特に Z=1  の場合に最も小さい半径となる n=1  のとき

註)https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?bohrrada0 [5 Nov 2023]

でありBohr半径と呼ばれる.

こうして量子条件によってエネルギーは一定となりBohrモデルの原子は安定的に存在できることがわかる.

では次に自己場の発散の問題について見ていこう.
自己場の発散は,簡単に言えば荷電粒子の運動方程式に自分自身がつくる場の項が現れることに起因する.
Coulomb相互作用は場を作るソースからの距離 r  に依存するが,自分自身との距離は r\to0  である.
よって逆二乗則にしたがうCoulombポテンシャルは発散してしまう.

実際,Lorentz摩擦があるときの荷電粒子の運動方程式は

で与えれる.
ここで m,q  は荷電粒子の裸の質量と電荷, \boldsymbol{j}  は躍度である.
m_{\mathrm{ph}}  は自己場の発散と相殺するように裸の質量をくりこんで有限の値(実際に観測される荷電粒子の質量)として定義されている.

微分散乱断面積のThomsonの公式から見積もられる荷電粒子の有効的な半径は

であった.
もしこの半径をもつ仮想的な球面上に電荷 q  が一様に分布していると考えた場合は,その中心では q^2/(4\pi\varepsilon_0a_c)  のポテンシャルを感じる.
この自己場のエネルギーの質量への寄与は m_{\mathrm{ph}}  に匹敵してくるので無視できない.
もしわれわれが議論する距離スケールが十分大きくて,仮想的な球面の半径 r  も十分大きく取れるならば,自己場のエネルギーは静止エネルギーに比べて無視できるので m_{\mathrm{ph}}\simeq m  が成り立ち発散の問題はみかけ上は見えなくなる.
よって半径 a_{\mathrm{c}}  は電磁気学を適用可能な距離スケールの基準となる.
たとえば電子の場合は

註)https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?re [5 Nov 2023]

という値であり古典電子半径と呼ばれる.

電磁場についてもミクロな系では電子と同様に量子条件が追加される.
電磁場の散乱問題で入射電磁場は分散関係 \omega_{\boldsymbol{k}_0}=c|\boldsymbol{k}_0|  を満たす.
Einsteinの光量子仮説に基けば電磁場はエネルギー量子 \hbar\omega_{\boldsymbol{k}_0}  の整数倍の値しか取ることができない(詳細は量子力学の章を見よ).
標的の荷電粒子は静止しているとすると静止エネルギー mc^2  をもつ.
標的粒子から見て電磁場の量子条件が見えず電磁気学が適用できるためには,このエネルギー幅がとても相対的に小さく連続とみなせることである: \hbar\omega_{\boldsymbol{k}_0}\ll mc^2
これから波数の逆について

が成り立つことが必要である.
\lambda_{\mathrm{C}}  Compton波長と呼ばれる定数で,電子の場合

註)https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?ecomwl [5 Nov 2023]

という値を持つ.

このように電磁気学が適用できるためにはある程度大きい距離スケールの系である必要がある.
原子のようなミクロな系では電磁気学での記述が破綻し問題を引き起こす.
たとえば原子の不安定性の問題は量子条件を課した定常状態を考えることで問題を解決できる.
自己場の問題は電子の場合 r_{\mathrm{e}}\sim10^{-15}\,\mathrm{m}  より十分大きなところでは質量くりこみを必要とせずに,電荷分布を球面上に置き換えて正則化をすることで解決できる.
しかしこれよりミクロな系での自己場の問題は残っている.
また電磁場の散乱問題のような非定常な問題は本質的に輻射場を必要とし,輻射場と量子条件をどのように両立させるかという問題が生じる.
これらの問題をいっきに解決するには相対論的に矛盾なく「くりこみ」を行える量子論を構築しなければならない.
原子の大きさが a_{\mathrm{B}}\sim10^{-11}\,\mathrm{m}  程度だったから原子の大まかな構造を議論するときには自己場は問題にはならないが,素粒子のようなさらに小さな荷電粒子の散乱問題では自己場を取り扱う必要がでてくる.
詳細な議論は量子力学,場の量子論の各章に委ねる.

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