計量ベクトル空間

この節では2つのベクトルから1つのスカラーを返す演算について考える.
ここでは体 K  は実数体 \mathbb{R}  かまたは複素数体 \mathbb{C}  とする.

V  を体 K  上の n  次元ベクトル空間とする.
そして写像 g\colon V\times V\to K  で公理

計量の公理

  1. {}^{\forall}\boldsymbol{u},\boldsymbol{v},\boldsymbol{w}\in V {}^{\forall}\alpha,\beta\in K に対し g(\boldsymbol{u},\alpha\boldsymbol{v}+\beta\boldsymbol{w})=\alpha g(\boldsymbol{u},\boldsymbol{v})+\beta g(\boldsymbol{u},\boldsymbol{w}) :線型性
  2. {}^{\forall}\boldsymbol{v},\boldsymbol{w}\in V に対し g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})=g(\boldsymbol{w},\boldsymbol{v})^* :Hermite対称性
  3. {}^{\forall}\boldsymbol{v}\in V に対し, g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{v})\geq0 であり,等号成立は \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0} のときのみ:正定値性

を満たすとき写像 g  計量 (metric) といい, (V,g)  計量ベクトル空間という.
また演算 g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})  は2つのベクトルの内積 (inner product) と呼ばれ慣習的に \boldsymbol{v}\cdot \boldsymbol{w}  (\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})  などと表記する.
ここでは後のわかりやすさのために g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})  の表記を続ける.

計量 g  はHermite対称性線型性から1つ目の引数については複素共役をとった線型性を満たす:

このような g  の性質をHermite半双線型性という.

物理では正定値性を満たさない計量も考える.
その代表は特殊相対性理論に登場するMinkowski計量である.
Minkowski計量では負の値もあり得て,さらに零ベクトルでなくとも g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{v})=0  となることがありヌルベクトルと呼ばれる.
そこで上記の定義を少し緩めた公理

擬計量の公理

  1. {}^{\forall}\boldsymbol{v},\boldsymbol{w}\in V {}^{\forall}\alpha,\beta\in K に対し g(\boldsymbol{v},\alpha\boldsymbol{v}+\beta\boldsymbol{w})=\alpha g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})+\beta g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w}) :線型性
  2. {}^{\forall}\boldsymbol{v},\boldsymbol{w}\in V に対し g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})=g(\boldsymbol{w},\boldsymbol{v})^* :Hermite対称性
  3. {}^{\forall}\boldsymbol{w}\in V に対し, g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})=0 ならば \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0} :非退化性

を計量 g  の定義として採用できる.
このとき (V,g)  擬計量ベクトル空間 (pseudometric vector space) と呼んで区別する.
正定値のとき g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{v})=0  ならば \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0}  である.
もし {}^{\forall}\boldsymbol{w}\in V  に対し, g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})=0  ならば \boldsymbol{w}=\boldsymbol{v}  に対しても g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{v})=0  が成り立つ.
よって正定値性により \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0}  となり非退化性を満たす.
つまり計量ベクトル空間は擬計量ベクトル空間でもある.

自分自身との内積の平方根をとったものをベクトルのノルム (norm) といい

と表記する.
計量の正定値性からノルムは常に非負の実数であり 0  となるのは零ベクトルのときのみ.

(V,g)  を計量ベクトル空間とする.
2つのベクトル \boldsymbol{v},\boldsymbol{w}\in V  について g(\boldsymbol{v},\boldsymbol{w})=0  であるとき,この2つのベクトルは直交 (orthogonal) するという.
V  の基底 \boldsymbol{e}_1,\cdots,\boldsymbol{e}_n  として

正規直交基底

を満たすものを選ぶことができる.
この条件を満たす基底のことを正規直交基底 (orthonormal basis) という.

任意の計量ベクトル空間で正規直交基底が選べることを示す.
まず V  の任意の基底を \boldsymbol{e}_1,\cdots,\boldsymbol{e}_n  とおく.
そこから1つ \boldsymbol{e}_1  を選んで新たに

を定義すると |\boldsymbol{e}_1'|=1  のノルムをもつ.
次に \boldsymbol{e}_2  をとって

とおく.
\mathcal{N}  |\boldsymbol{e}_2'|=1  となるように選ぶ規格化定数.
\boldsymbol{e}_1'  との内積を調べると

となり直交していることがわかる.
規格化定数は \mathcal{N}=|\boldsymbol{e}_2 - g(\boldsymbol{e}_2,\boldsymbol{e}_1')\boldsymbol{e}_1'|  とすればよい.

いま k,\,(k< n)  個のベクトル \boldsymbol{e}_1',\cdots,\boldsymbol{e}_k'  のどの2つも直交し,ノルム 1  をもつものを構成できたと仮定する.
そして

k+1  個目として定義する.
括弧の中のベクトルは少なくとも \boldsymbol{e}_{k+1}  の係数が 0  でないので零ベクトルではない.
よって \mathcal{N}\neq0  は保証される.
このベクトルは任意の \boldsymbol{e}_i',\,(1\leq i\leq k)  との内積をとると

となり直交していることがわかる.
したがって帰納的に全ての i,j  g(\boldsymbol{e}_i',\boldsymbol{e}_j')=\delta_{ij}  を満たすように選ぶことができる.

最後に今構成した \boldsymbol{e}_1',\cdots,\boldsymbol{e}_n'  が基底であることを示す. 線型結合が \sum_{i=1}^n\alpha_i\boldsymbol{e}_i'=0  を満たすとする.
この線型結合と任意の \boldsymbol{e}_j'  との内積をとると

と計算される.
よって \alpha_1=\cdots=\alpha_n=0  となるので \boldsymbol{e}_1',\cdots,\boldsymbol{e}_n'  は線型独立である.
V  n  次元なのでこれらは基底をなす.\Box

ここで述べた正規直交基底の構成方法はGram–Schmidtの方法として知られる.
ただしこれは正規直交基底の1つの選び方であり,一意ではないことに注意する.
正規直交基底 \boldsymbol{e}_i  でベクトルを \boldsymbol{v}=\sum_iv_i\boldsymbol{e}_i  と展開すると内積は

と成分で表すことができる.

Euclid空間 \mathbb{R}^3  の正規直交基底としては

がある.
簡単な計算から正規直交関係 g(\boldsymbol{e}_i,\boldsymbol{e}_j)=\delta_{ij}  を満たすことはわかる.
任意のベクトル \boldsymbol{v},\,\boldsymbol{w}\in\mathbb{R}^3  の内積は

となる.
他の例としては \theta\in\mathbb{R}  として

などがある.

Minkowski時空 \mathbb{R}^{1+3}  での任意のベクトルは \boldsymbol{v}=\sum_{\mu=0}^3v^{\mu}\boldsymbol{e}_{\mu}  と展開できる.
ただし基底ベクトルとしては \mathbb{R}^3  のときの基底を拡張して

と選んだ.
計量 \eta

と定義する.
これは基底ベクトルに対して正規直交関係の代わりに

と定義することと同じである.
ここで \eta_{\mu\nu}=\mathrm{diag}\,(-1,1,1,1)
計量 \eta  は明らかに正定値性を満たさずMinkowski時空は擬計量ベクトル空間である.
\eta  のことをMinkowski計量という.

位相空間n  次元の一般化座標の空間にさらに一般化運動量の空間を付け加えた 2n  次元のEuclid空間 \mathbb{R}^{2n}  であった.
正規直交基底は同じく i  番目だけが 1  であるものに選ぶ:

このベクトル空間に対して写像 \omega

で定める.
これをシンプレクティック内積という.
しかしながら \omega  は線型かつ非退化であるが,反対称 \omega_{ij}=-\omega_{ji}  なので計量でも擬計量でもない.

前節ではベクトル空間の演算を保つ写像として線型写像を定義した.
そこで計量ベクトル空間に対して演算と計量を保つような写像を考えよう.
2つの計量ベクトル空間 (V,g_V)  (W,g_W)  を考える.
その間の線型写像 f\colon V\to W  が任意のベクトル \boldsymbol{u},\,\boldsymbol{v}\in V  に対して内積の値を保って

を満たすとき f  計量準同型写像という.
特にベクトルのノルムに関しては

となって保存される.

計量準同型写像は単射であることを示そう.
\boldsymbol{v}_1,\,\boldsymbol{v}_2\in V  をとって f(\boldsymbol{v}_1)=f(\boldsymbol{v}_2)  を仮定する.
線型性より \boldsymbol{0}=f(\boldsymbol{v}_1)-f(\boldsymbol{v}_2)=f(\boldsymbol{v}_1-\boldsymbol{v}_2)  と変形できる.
したがって単射性のためには \boldsymbol{v}_1=\boldsymbol{v}_2  を示せば良いが,それは「任意の \boldsymbol{v}\in V  に対し f(\boldsymbol{v})=\boldsymbol{0}  ならば \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0}  」を示すことと等価.
では f(\boldsymbol{v})=\boldsymbol{0}  のとき,ベクトルの大きさについて準同型性により

となる.
内積の正定値性により \boldsymbol{v}=\boldsymbol{0}  である.
\Box

計量準同型写像 f\colon V\to W  が全射のとき f  は全単射であり,線型同型写像でもある.
全射な計量準同型写像 f  計量同型写像または等長写像 (isometry) という.

計量準同型写像 f\colon V\to V  は等長写像であることが示せる.
そのためには f  が全射であることだけをいえばよい.
V  の基底を \boldsymbol{e}_i,\,(1\leq i\leq n)  とする.
そして f(\boldsymbol{e}_i)  が基底になっていることを示す.
線型結合が \sum_i\alpha_if(\boldsymbol{e}_i)=\boldsymbol{0}  を満たすとき線型性より f(\sum_i\alpha_i\boldsymbol{e}_i)=\boldsymbol{0}
計量準同型ならば単射なので \sum_i\alpha_i\boldsymbol{e}_i=\boldsymbol{0}
元の基底の線型独立性より \alpha_1=\cdots=\alpha_n=0  となり f(\boldsymbol{e}_i)  たちも線型独立である.
ゆえに f(\boldsymbol{e}_i)  V  の基底であり任意の \boldsymbol{v}\in V  \boldsymbol{v}=\sum_iw_if(\boldsymbol{e}_i)  と展開できる.
それはすなわちあるベクトル \boldsymbol{w}=\sum_iw_i\boldsymbol{e}_i  を用いて \boldsymbol{v}=f(\boldsymbol{w})  と書ける.
よって f  は全射である(この証明は次元公式を適用すればもっと簡単になる).
\Box

最後に等長写像の表現行列について調べておこう.
(V,g)  を計量ベクトル空間とする.
f  が等長写像ならば正規直交基底 \boldsymbol{e}_i  に対して f(\boldsymbol{e}_i)  も正規直交基底となることはすぐにわかる.

f(\boldsymbol{e}_i)  を元の基底で展開して f  の表現行列を

とおく.
正規直交関係に代入して計量の線型性より

行列 U=(u_{ij})  で書けば

となる.
ただし U^{\dagger}=(U^*)^{\mathsf{T}}  U  Hermite共役という.
K=\mathbb{C}  のとき行列 U  ユニタリ行列 (unitary matrix) という.
また K=\mathbb{R}  のときは複素共役は不要になり

になる.
こちらの条件を満たす行列 U  直交行列 (orthogonal matrix) という.

ユニタリ行列や直交行列は正規直交基底の変換を表す行列であり,物理学においても重要である.
直交行列は三次元Euclid空間の回転やMinkowski時空のLorentz変換に対応する.
ユニタリ行列は量子力学において確率の保存則を破らない変換として重要である.
シンプレクティック内積は通常の計量ではないが,内積を保つ写像を考えることができて,その表現行列はシンプレクティック行列と呼ばれる.
これらの性質については節をあらためて詳しく議論する.

また計量の定義された空間は重力理論を構築上でも重要となる.
ただし計量は空間の各点で定義されたなめらかな函数に拡張される.
一般相対性理論はこの計量を未知函数として含む微分方程式,Einstein方程式を基礎方程式とする.
このような計量を議論するにはベクトル空間より高級な数学的構造を導入する必要がある.
詳細は一般相対性理論の章に委ねる.

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